つぎはぎステッチ

ポエムを投稿するなどします

私と人間関係とインターネットと

その昔なりきりチャットという文化があった。今もあるかもしれない。

なりきりチャットとは読んで字の如く漫画や小説、アニメやドラマの登場人物の口調を真似た人同士でチャットを楽しむ、というものである。

小学4年生、当時10歳だった私はこれにハマっていた。10年以上も昔の話である。

当時の私は学校に友達が少ないわけでもなかった。ただ、当時の私は自分を頭が良いと思い込んでおり、周りの友人を少し子供っぽいなと感じていた。今思い返すと非常に愚かだが。 それにオタクっぽい話題を出せる友人は当時周りにはいなかった。

自分より周りの人達の年齢が高くオタクっぽい話がおおっぴらにできるなりきりチャットは自分にはとても新鮮で楽しかった。

色々な作品のキャラでなりきりチャットを楽しんでいたが、最終的に銀魂の桂小太郎に落ち着いた。

しばらく続けていたある日、段々とメンバーが固定されてきた事に気付いた。

なりきりチャットでは、なりきるキャラクターの他に、誰が人がなりきっているかを判別できるような識別子が入ったコテハンを付けるのが暗黙の了解だった。 坂田銀時(銀髪の侍)、小悪魔神楽チャン、志村新八の眼鏡じゃない方、みたいな感じである。

因みに私の当時コテハンは「‡流離いの桂小太郎‡」であった。

彼らと次第に打ち解けていき、他愛ない会話だけではなく、お互いの生活や悩みについても話し合うようになっていった。

ちょうど小学校が夏休みに入り時間があった事もありチャットルームにずっと入り浸り彼らとの会話を楽しんだ。

お互いに顔も名前も知らなかったが、そこには友情と感じるものがあった。

ある日、私が用事で1週間程チャットにアクセスできなくなった。

‡流離いの桂小太郎‡「突然で悪いのだが、明日から1週間程ここには来られなくなる。所用でな。」
坂田銀時(銀髪の侍)「そうか、寂しくなるな… 元気でな、ズラ。」
‡流離いの桂小太郎‡「ズラじゃないヅラだ、あ間違えた桂だ。心配せずとも1週間後にはまた顔を出す。銀時、お前も達者でな。」

こんなやり取りの後、私は1週間オフラインになった。

1週間後、いつものチャットルームに戻ると私が見知った面々は誰もいなかった。 それから1日、また1日と時が過ぎて行き夏休みが終わった。 結局その後私が彼らと出会うことはなかった。

私が初めて人間関係の終わりを体験した出来事だった。

それから月日が流れ、小学6年生になった。 当時インターネットではTwitterが話題になっており、私も存在を知ってすぐ登録した。 企業からの情報や時事、ニュースを仕入れる為に始めたのだが、次第に他のユーザーとコミュニケーションを取るようになっていく。 いつしか自分と気の合う人々との交流がメインの使い方になっていった。

中学1年生の夏休み、インターネットを利用できなくなった。 部活で疲れて帰宅した直後にベッドに倒れこんだ私を見たキチガイの母親が「パソコンばっかり触ってるから規則正しい生活ができなくなった!」とヒステリーを起こし私の電子機器を全て破壊したからだ。 丁度その直前に心に深い傷を負う出来事があった当時の私は、病みツイートを連発した直後にTwitterから姿を消したのだった。

その後結局心の傷が癒える事は無かったが、学校の友人達のお陰もありなんとか普通の生活を送れるようになった。

中学2年生になり夏休みも終わった頃に、親から「リビングのパソコンを使ってもいい」という許可を得た、親が横に居る事が条件だったが。 その間Twitterで交流していた人々の事は気がかりだったが、学校生活がそれなりに充実していた事、何より気にしても自分にはどうしようもなかったので少しずつ忘れていた。 それでもやはり心のどこかで気にしていた私は、インターネットが使えるようになりすぐにTwitterにログインした。 私がよく絡んでいた人達は皆数ヶ月前からツイートが無かった。 リプライを送れば反応があったかもしれないが、結局私にはその勇気は無かった。

私は今別のアカウントで名前も素性も明かしてTwitterをやっているが、それでもTwitterでしか連絡が取れない人間というのは沢山いるし、同じくFacebookやLINEでしか連絡が取れない人間もいる。

「今の時代は離れててもネットで繋がってられるから」とはよく言うが、その糸は容易く切れてしまうという事を私は知っている。

来週、私は生まれ育った大阪を離れて東京へ引っ越す。 おそらく大阪に帰ってくるのは年に1,2回だと思う。

今まで大阪で構築してきた「オフライン上での人間関係」は全て「オンライン上での人間関係」になる。

人生に出会いの数だけ別れがあるのは必然なのだろうが、やはりこれにはいつまで経っても慣れられる気がしない。

慣れるしかないと頭では理解していても心では理解できそうもない。

どうか私が大阪で築いてきた関係のせいで心が別れに慣れてしまわないように、東京での日々を過ごしていきたい。