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つぎはぎステッチ

ポエムを投稿するなどします

自分語り

始めに

世の中には2種類の人間がいる。

自分を語る人間と、語らない人間である。

他人からどう見られているかは知らないが、自己評価において僕はもっぱら後者だ。

別に自分を語るのが恥ずかしいとかそんな事ではない。

あまり上手く自分を言葉で言い表せないだけである。

人間多少はミステリアスな方がモテると信じている僕であるが、

もう少し自分のバックボーンを表に出した方がいいのではないかと思っていた。

僕の人生を語る上で最も重要な事が2つある。

半年で高校を中退した事、そしてその後大学へ進学した事だ。

丁度そんな時にこんな物を見かけた。

www.adventar.org

僕は今大学に通ってはいるが、高校を半年で辞めてしまい2年以上中卒として過ごしてきた。

企画者に尋ねると「魂が中卒ならOK」というよく分からない返答を貰ったので、とりあえず魂を中卒にした。

この機会を逃せば高校を中退した理由を纏めて書く事はそうそう無いのではと思い今キーボードを叩いている。

今日は拙い文章ではあるが思う存分に自分を語っていきたいと思う。

僕が高校を辞めた理由を説明するには僕の幼少期にまで遡らなくてはならない……

幼少期の夢のお話

電脳コイルというアニメを観た。確か小学4年生の頃だったと思う。

自分と同じくらいの年齢の子供達が"電脳メガネ"という今で言うHMD(ヘッドマウントディスプレイ)の透過版の様な物を身に付け、そこからビームやらミサイルやらを飛び出させて、時に対立して戦ったり時に協力して"サッチー"と呼ばれる敵(厳密には敵ではない)と戦ったりするお話である。

ネタバレをする気はないのでこのくらいで止めておくが、クライマックスも良くできており今観ても感動できる作品である。 興味のある方は是非TSUTAYAへ行って欲しい。

それはさておき当時小学4年生の少年は電脳コイルを観てこう思った。

「いつか電脳メガネを作ってみたい!」

僕の人生において最初で最後の"将来の夢"である。

元々幼稚園の頃からパソコンや機械に興味津々のギークボーイだった僕は電脳メガネという架空の存在に引き込まれていった。 電脳メガネを作る為には何を勉強すればいいのだろうか。僕は考えた。結局当時の僕になかなか答えは見つけられなかった。

そんなある日、近所の本屋に行った時に"iP!"という雑誌を見かけた。多分今でもあると思う。 見出しには"Androidスマートフォンアプリ開発で一攫千金!"とあった。 スマートフォンという単語すら知らなかった僕は手に取ってみた。 メガネではないが手のひらに収まる機械で世界中と繋がることのできる機械がそこにあった。 さらにその機械で動くプログラムを自分で作れるというのだ。

僕は感動して財布をスッカラカンにして本屋を後にした。

当時の僕は自分のパソコンを持っていた。父親が仕事先の同僚から貰ってきて、そして「壊れたから」という理由で僕にくれた。

今思えば壊れたものを子供に与えるなんて酷い話だ。

しかし親の思惑とは裏腹に僕はそれの修理に成功した。と言ってもOSを再インストールしただけだったが。

スペックはとんでもなく低く、"CPU 300MHz(勿論1コア!), RAM 64MB, HDD 8GB"みたいな感じだった。

僕はそのパソコンでAndroidアプリを作り始めた。

しかし、うまく動かなかった。

パソコンのスペックが低すぎてエミュレータが動かなかったのである。

僕はとてもがっかりしたが諦めずにできる限りの勉強をした。

当時の僕はスマートフォンはいずれ世界を変えると思っていたからだ。

今や日本人のほとんどがスマートフォンを持っているしこの予想は当たらずとも遠くはない。

詳しいことは何も分からなかったがこれに使われている技術はいずれ電脳メガネを実現するための布石になると信じていた。

中学時代と夢の終わり

そんなこんなで僕は中学生になった。

そして、親戚からもらった入学祝い、コツコツ集めてた漫画を全て売り払ったお金で念願の自作PCを組み上げた。

ケースを買う金は無く、段ボール箱にパーツを並べただけのとんでもない物だったが、当時の僕にとっては間違いなく宝物だった。

新しいPCでは勿論今まで起動できなかったAndroidエミュレータを動かした。

初めて自作のアプリが動いた時の感動は今でも覚えている。

スタートボタンをタップして5秒ぴったりでストップボタンをタップするという今考えればありきたりでしょぼいものだったが僕はとても興奮したし延々とその自作ゲームで遊んでいた。

中学では僕はバスケ部に入った。 部活は6時くらいまで続きクタクタになりながら帰った。 そんな中でも僕はプログラミングの勉強を続けた。

そして夏休みに入った。

部活は毎日のようにあった。 ある日の事、練習試合を翌日に控え練習はいつもにも増して厳しかった。 練習の最後に体育館を何周も走らされ、僕は足が棒になったまま帰路に着いた。

動く気力もなかった僕は倒れるようにしてリビングのソファに横になり眠った。 しばらくして母親の怒声で目が覚めた。「寝る前に風呂に入って飯を食え」との事だった。 僕は「しんどいからちょっと寝かせて」と言いなんとか自分のベッドまで辿り着き潜り込んだ。 すると今度は眠りにつく前に母親が奇声を発しながら部屋に入ってきた。 僕が「もう頼むから静かにして」というのを無視し母親は奇声を発し続けそして僕のパソコンを見た。 次の瞬間母親は僕のパソコンを破壊し始めた。 僕は意味が分からず唖然としながらそれを眺めていた。 母親は次々にむき出しになっている自作PCの配線を引きちぎっていき、電源をマザーボードに叩きつけ、HDDを殴り、メモリをへし折った。 仕上げはディスプレイだったが、簡単に壊せるわけもなく、母親は担いで家の外に飛び出し、地面に叩きつけた。 僕は我に帰り母親を追い家を飛び出したが時すでに遅くヂスプレイはただのプラスチック片と化していた。 僕は母親に殴られた後泣きながらその残骸をかき集めたが無駄な事だった。

翌日の練習試合には行けなかった寝坊したからである。 朝早く体育館には入れないため、、1年生の僕は試合前の練習で使うボールを持って帰っていた。 それがないと練習に支障が出るので僕は直接対戦相手の中学へ向かうことにした。 ところが僕にはその中学の場所が分からなかった。 パソコンで調べればいいと思ったが僕のパソコンは勿論既に亡くなっていた。 家にはもう一台リビングにパソコンがあった。 僕はそのパソコンを使い調べることにした。 しかし僕がパソコンを起動した途端母親がそのパソコンを持ち上げ外に放り投げた。 こうして僕の母親は僅か12時間足らずでパソコンを2台破壊し、僕は練習試合にも行けなくなった。

次の日からは部活のメンバーに謝罪し、ことの顛末を笑い話にした。そうでもしないとやり過ごせなかった。 家の居心地は最悪で、やる事もなく、ただひたすらに地獄だったので毎日のように部活があったのはある意味救いだった。

夏休みの終わり頃、まだ諦めきれなかった僕は、親の財布から2万円程パクり、その金でもう一度壊れたPCパーツを買い直した。 僕はそれをベッドの下に隠し、滅多に使わなかった。バレると壊されるからだ。

夏休みも終わり始業式、僕は割と元気に登校し普通に学校の友人たちと過ごした。 部活も終わり夜になって帰りたくないと思いながらも家に着いた。

家の自分のスペースに入るとベッドの下にあったはずのパソコンは無くなっていた。 色々考えていると、母親が入ってきて怒鳴りながら殴ってきた。金を盗んだので当然である。 僕はうずくまったままボコボコにされた。 こうして僕の最初の中学の夏休みは、将来の夢と、パソコン2台と、親の信用と期待を失い終わったのであった。

次の日から学校にも行かなかった。行く意味も、気力もなかった。 心配した友人達や教師陣は何度か家に来てくれた。色々な話をしたが、僕は自分が何故学校に行かないのかは話さなかった。 「パソコンが壊されたから行かない」と言っても馬鹿じゃねえのと言われるだけだろうと思った。 僕は自分の将来の夢を人に話した事はこの記事が初めてだ。その当時にはその夢のことも含め説明するのが面倒だった。 というか、一度自分を母親に否定されてからはそれが極端に怖くなり、また否定されるのではと思うととても話す事なんてできなかった。

そうして一ヶ月ほど登校拒否を続けていたある日、母親に「今晩家を出て行け」と告げられた。 僕はどうにでもなれと思いながら適当に荷物をまとめて母親がパートから帰ってくる前に家を出ようとしたが、タイミング悪く親が家に帰って来た。 僕は力ずくで身ぐるみを剥がされ、持ち物を全てチャックされ、そしていくつか物を没収され、そのまま家を放り出された。 僕は大阪から京都へ向かう国道をフラフラしていたが、夜になり警察に補導された。 地元の警察署に連れて行かれ、警察官から罵声を浴び続けられた。 僕は自分の意思で夜中にフラフラしていた訳じゃない、追い出されたと説明したがそんな事は彼らには関係ない。 しばらくして母親が来て僕は家に帰ることになった。 母親からの事情説明を聞いた警察官は帰り際に「明日から学校行かなかったら逮捕して少年院送りだからな」と言ってきた。 「学校行かないくらいで少年院に入れれる訳ねえだろ馬鹿にすんなやハゲ」と言い返すのも面倒で僕は「分かりました」とだけ言い親と車に乗り込んだ。

翌日から僕は学校に登校して普通の中学生として過ごした。 別に警察に色々言われたからというわけではないが、自分の人生に対して興味がなくなっていた僕は学校に行くのも行かないのも一緒だと思い、どうせなら学校に行く方が親の顔を見る機会が減るだろうと登校した。

どうでもいい事だが、登校拒否した理由も再び登校し始めた理由も人に話さなかったのでこの一ヶ月間は友人達から「空白の一ヶ月」と言われ時々話のネタにされる。 当時の友人や教師には迷惑をかけたと思う。もしこの記事を見ているならここで謝罪したい。今までこの事について何も話さなかった事にも。

中学2年になった。僕にはその時彼女がいた。 当時仲の良かった同級生の半分以上が携帯電話を持っていた。もちろん当時の彼女も。 その頃には僕の家のリビングには再びパソコンが置かれていた。パソコンがないと年賀状を作るのが大変だったらしい。 そして僕はそのパソコンをたまに使っていた。21世紀にインターネット無しで生きていけるはずがないのである。 僕はその当時携帯電話を持っていなかったが、彼女に「放課後にメールがしたい」とせがまれた。 僕は「じゃあパソコンでメールアドレス作るわ、明日アドレス教える」と言い家に帰り、メールアドレスを作った。 僕が普段使っている"nametaketakewo"というのはこの時のメールアドレスが由来である。 誕生日や名前、バカっぽい文字列("exile-love"とか)が入っておらずそれなりに長いが覚えやすい適当な文字列である。僕のIDには一切深い意味が込められていない。 次の日から僕と彼女のメールでのやり取りが始まった。 しかし、やり取りは思うようにいかなかった。メールというのは好きな時に確認できて、好きな時に返信できる物である。僕が送ってすぐに彼女が返信してくるとは限らない。 僕は彼女の返信をパソコンの前でボーっと待っていると母親がパソコンの電源を引っこ抜いた。そして「パソコンは1日1時間」と言い放った。 その時に僕はやっと分かった。こいつはパソコンをゲーム機か何かとしか思っていないのだと。 経験がある人もいるかと思うが根本的に価値観にズレがある人間、そして自分が間違っているという考えが無い人間と話すほど無駄で疲労することはない。 こういう一生分かり合える事のない人間が世の中にはいるという事が13歳にして分かったのは幸運だった。僕はその日から母親と会話する事をやめた。 もともと母親と会話すると軽い頭痛とめまい、吐き気がしていた。生理的に受け付けないという感じだ。実話である。

僕の家庭事情を知っている人は僕が母親と会話をしないのは母親が嫌いだからだと思っているのだろうが、それは違っていて、(嫌いな事は大嫌いだが)こういった事情があるのである。

そしてその後僕は惰性で中学生を続け、そのまま中の中の高校に進学した。本当はもう少し頭のいい、学力テストの結果で自分に丁度いいと思った高校に進学したかったのだが、内申点が悪すぎて親と教師からやめさせられた。

高校に入学してから辞めるまで

高校に入ってから僕はバイトに明け暮れた。高校に入ったら携帯代を一切払わないと親に言われているので嫌でもバイトをしなくてはいけなかった。 バイトは楽しくはなかったがバイトで稼いだ金で買い物をするのはとても楽しく、快感だった。 細かいものに次々お金を使っていき、貯金をしたり大きな買い物をするという発想はなかった。

僕は元々お小遣いをほとんど貰っていなかった。さらにお年玉も親に半分以上奪われていたため、自由に使えるお金がほとんどなかった。 中学時代に付き合っていた彼女とのデートの前日に友達とそのお母さんがそっとお金を貸してくれた程だった。 まあ結局翌日のデートではお金は全部彼女が払ってくれて借りたお金もそのまま返したのだが。 とにかく、僕にはお金の正しい使い方が分からなかった。今でも分かってはいないが。 当たり前だが学業はどんどんおろそかになっていき、バイト漬けの日々になった。

そして今度は高校で初めての夏休み。 もちろん僕はひたすらにバイトした。週6、1日8時間とかだったと思う。 バイト代の桁が普段より一つ跳ね上がり、お金を使う時間はほとんどないのである。 そうして夏休みの終わりには20万円ほどのお金が手元にあり、普段は月7万円程度で生活していたので13万円ほど余る事になった。 僕は少し考えて、この13万円は何か大きな買い物をしようと思った。 そうして僕はパソコンを、MacBook Airを買う事にした。まだプログラミングがしたかったわけではなく、21世紀に生きる上で必需品だからである。 僕は普通に調べ物をしたり、暇つぶしに使うためにパソコンを買ったのだった。 買った当初は「また壊されるのでは」と思い棚の裏に隠したり、肌身離さず持ち歩いたりもしたが、今度は壊されることもなく、普通に机に置いていても問題なかった。

まあ察しのいい人ならわかってると思うが、僕は結局プログラミングの勉強を再開していた。 いつ再開したかはあまり覚えておらず、いつの間にか、気付いたらプログラミングをしていた。 その頃には中学時代の夢のことなど頭に無く、ただプログラミングが楽しくて続けていた。 その時に触ったのがRubyという言語だ。それまで触っていたJavaという言語と比べてはるかに書きやすく、簡単にプログラミングができた。 僕はJavaを勉強するのをやめてRubyに専念し、のめり込んだ。 僕は何でもできる気になった。自分には才能があるとも思った。 幼い頃からコンピュータに興味を持ち、人並み以上に努力してきたつもりだった。 自分を悲劇のヒーローか何かと完全に勘違いしていた。 別にこのまま独学でプログラミングの勉強をすれば十分食っていけるんじゃないだろうか。僕はそう考えた。 就職すれば今のバイトなんかよりよっぽど高い給料が貰える。出費も増え税金なども払わなければならないが、それでも僕にはそっちの方がいいと思った。

後悔はしていないが、幼稚な選択だったとは思う。 僕は文化祭が終わった10月頃から高校に行かなくなった。そして翌年1月に正式に退学届を提出、受理された。 授業が面倒になった訳でも、通学路の坂道が急だったからでも、高校に友達が居なかったからでもない。勉強するために辞めた。

大学へ来た理由

それからは勉強とバイトを続けてた。親には「いずれ専門学校に行く」と行ってあったのでたまに小言を言われる程度だった。勿論嘘八百で、専門学校へ行く気なんてサラサラ無かったが。 僕はバイトをいくつか乗り換えて、最終的にバイトを辞めて無職になった。貯金はそれなりにあり、遊びまわる余裕もあった。 僕はとりあえず高卒認定を取る事にした。就職に使うためのつもりだった。 しかし僕はその試験に寝坊した。試験は半年に1度しかなく、それまで特に何もやることがなかった。 ただただ時間が過ぎていく中で僕はインターネットの海に潜り込んでいた。 その中で、僕と同じ年代、もしくはそれ以下の人間がプログラマとして活動しているのを見た。 この辺りは上手く言葉で説明できない。とにかく僕は「今の自分では彼らの足元にも及ばない」というのを痛感した。

自分には才能もあって、努力もして、時間もかけてきたつもりだった。 たかが3年のブランクのせいでここまで変わってしまうものなのだろうか、それとも僕には才能もなく努力もしたつもりになっていただけなのだろうか。僕に答えは分からなかった。そしてこのままではダメだと思った。

井の中から大海に出た僕は、自分が持っているちっぽけなダガーだけでは生き残れないことを悟った。 僕にはまだ武器が必要だ、どんなものでもいい、もう一つ武器が欲しい、そう思った。

そして今僕はその武器を探すために大学に通っている。経済大学の一応情報系の学部だ。

僕は今よりも絶対に強くなる。強くなってみせる。

まとめ

ガキよ、高校へ行け。